2012/12/22

目に見えないもの。曲がり角の先にあるもの。


[ time & place ] : 震災から一年半後の長い冬の始まりに
[ books ] : 「ツバメ号とアマゾン号」(アーサー・ランサム/岩波少年文庫)「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(村岡恵理著/新潮文庫)


少し前、沼津の「weekend books」で行なわれた「A gift ~あの人に、この本を。」という展示に、選者のひとりとして参加させてもらった。
誰かのことを想って贈りたい本を一冊選んで、メッセージを添える。
本を選ぶためにいくつかの蔵書を読み返し、いろいろ悩んで、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」を選んだ。贈りたい相手は、2歳の甥っ子。
児童文学はけっこうたくさん読んできたほうだと思うのに、アーサー・ランサムだけは子供心の記憶にない。
大人になって名前を知り、形式的にこの代表作を開いたことは憶えているけれど、そのときはよっぽど注意力散漫だったか他に気がかりなことがあったのだろう。
今回、初めてこの物語に「出会い直し」、圧倒的な物語の世界にずぶずぶと引きずり込まれ、読み切るまでは現実のことにまったく手がつかない(こちら側に「戻って来れない」)という幸せな体験を、久々にした。
湖に浮かぶ小島を人類未踏の無人島に見立て、そこで一夏を過ごす4人兄妹とその仲間の冒険の数々。
冒険は、空想の世界で繰り広げられるのではなく、本物の自然(湖や嵐や)を相手にした、大人顔負けの本格的なもの。
ページを閉じて、それまで乗組員の一員として過ごした濃密な時間から我に帰ったとき、子供たちの勇気や知恵、仲間兄妹への思いやりなど、わたしが知らず知らずにどこかに置いて来た忘れ物の多さに気づいて、呆然とした。
とりわけ驚いたのが、お話に出て来る大人たちの子供に向き合う態度のまっとうさ。
主人公の兄妹たちの父親は、本物の船乗りで、遠い海に出てしばらく戻らない。
子供たちの冒険を近くで見守るのは母親と隣人たちなのだが、「危ないから」「無理に決まっている」などと頭ごなしに決めつけて反対したりしない。
付かず離れずの距離でそっと見守り、ここぞという時にだけ助け舟を出す。
それも押しつけではなく、あくまで「そういう選択肢もありますよ」という提示の仕方で。
子供たちにとっては、母親も隣人も、簡単には心を許してはならない「土人」という設定。
大人たちは「土人」としての役柄をきちんと演じながら、「征服者」である子供たちにクイズのようなやり方でアドバイスを与えたり、「引き際」を自分たちで選べるように導いたりする。
この、子供たちの自主性を大切にする姿勢や距離感の保ち方、子供たちの夢を壊さないユーモアと、最後にはそこに帰ればいいという安心感と包容力の示し方が、なんとも素晴らしくて、心の底から感心してしまった。
物語に描かれた大人の姿は、ほぼ、実際ランサムが幼少期に出会った大人たちのそれが反映されているのだろう。
こんなふうにおおらかに、子供が自分たちだけの力で船の帆をあげて、海原へと漕ぎ出す姿を、陸からそっと見守ってあげられる大人が、はたして今、どれだけいるんだろう。


数日前、楽しみにしていた連続テレビドラマが終わってしまった。
ドラマを毎週欠かさず見続けたことも、終わってしまってぽかーんと寂しくなるのも、ひさしぶり。
ドラマのあらすじは、会社や家庭で居場所を見つけられないサラリーマンが、森に住む「小人」探しにのめりこむうちに、実の父親や娘との関係性を修復させていく、というもの。
この説明だけではなんのことやら… だろうし、実際、小人を探すというふわりとしたファンタジーっぽさは、ドラマにサスペンスや謎解きや現代の深層心理の暴露といった激しさや「真理」を求めている人たちには物足りなかったようで、ウケはいまひとつだったらしい。
それはおそらく作る側にとっては予想範囲内の反応だったろうし、だからこそとても「革新的なホームドラマ」だったと思う。
随所で出て来るひとつのセリフが、このドラマの核となるメッセージ。

「世界は目に見えているものだけでできているんじゃないんだよ」

初めは、目に見えるものしか信じなかった大人たちが、やがて、目に見えないものだって存在するかもしれない、と思うようになるまでの軌跡を、オーバーすぎない役者さんたちの演技や、丁寧に作られた映像を通して、静かに描いていく。
目に見えないものが見つかったかどうか、が、ドラマのゴールではない。
目に見えないものもいるのかもしれない、という「目に見えないスイッチ」がひとつOFFからONに切り替わっただけで、そのほかは表面上、毎日の生活のシーンは初回と最終回で何も変わらない。(大切な人がひとり亡くなったことをのぞいて。)

毎週、一話見終えるたびに、体の内脂肪のぶよぶよしたかたまりを、一枚ずつ引っぱり剥がされるみたいな気がした。
引っ張り剥がされてはじめて、いつの間にこんな余計な肉を溜め込んでいたんだろうと気づく。
自分のなかの、弱くて無防備で、でもほんとうはいちばん綺麗なものを見たり聞いたり蓄えたりできる純粋な部分。
そこが剥き出しにならないように、ひとからも見られることがないように、脂肪というお肉でぐるぐる巻きにして、いつからか自分でもそこにあることを忘れていた。
いつから「目に見えないもの」について口にしたり考えたりすることが、恥ずかしいことだと思うようになったんだろう。
そんなにぐるぐる巻きに覆い隠すようにして、わたしは何を恐れていたんだろうと、考える。


先週、東京への道行きの車内で、村岡花子さんの生涯をなぞった「アンのゆりかご」を読んだ。
村岡花子さんは「赤毛のアン」の翻訳者として知られているけれど、それだけでなく、日本の子供が欧米の豊かな物語の世界に触れることができるよう、あらゆる方法で努力を尽くしたひとだった。
戦争が人生のど真ん中にあった時代背景を思うと、その行為はときには命がけのものでもあった。
命がけで物語を守る、なんて、今のわたしたちにはもう想像もできない。
身の回りに当たり前に本は溢れていて、欲しいと思えばいつでも安価で手にすることができて、今や掌の上で転がすようにしながらでも読めるようになった。
でも、だから子供たちみんなが思う存分「物語」の世界に浸りきっていられるようになったかと言えば、そうではない。
子供たちにとっての宝物の在り処は、もう童話や児童文学の活字の上には見つけられなくなってしまったのかもしれないし、物語にゆっくり付合っている時間もないくらいい忙しそうだ。
無人島を探す冒険をしたければ、テレビゲーム(とももはや言わないのだろうけれど)の中でならもっと手っ取り早く、もっとスリリングに疑似体験ができる。
森の小人探しごっこができるようなちょっとした雑木林も、家のまわりにはなくなってしまった。
村岡さんが身を削るような思いで書き起した「赤毛のアン」をはじめ、「ハックルベリーフィンの冒険」「少女パレアナ」「王子と乞食」「フランダースの犬」などの児童文学書がきちんと本棚に納められている家庭が、どれくらいあるだろう。
時代は移り変るものとはいえ、たった数十年の間にみるみる失われていくものの多さに、為す術もなく、村岡さんをはじめ、その背後にいる物語を受け継いできたひとたちに、顔向けできないような申し訳なさを感じてしまう。

戦時色が色濃くなっていくなかで、子供向けのラジオ放送を担当していた当時の心境を、村岡さんはこう記している。


「現在の時局下にあっては、そんな悠長なものではなくもっと軍事に関係ある話材を脚色して見せるべきだといういふ人々も、勿論、多くあることでありませう。
しかしながら、子供はいつの時代にも美しい夢を持っているものです。生まれ合わせた時代がきりきりと緊張しており、大人たちが切迫した気分で生活していればいるほど、子供の無限的気分へのいたわりを、忘れないやうに心すべきであると、私は考えているのです。」


まさか同じ過ちは繰り返されまい、と思ってきたし、今でも信じているけれど、このところ、うっすらときな臭い匂いがしなくもないことが、悲しく、胸がざわつき、無性に腹立たしい。
あの痛ましい震災のあと、私たちは見過ごしてきた大切ないろいろなことに気づいて、新しい一歩を踏み出そうとそれぞれに悩んだりもがいたりしている。
これはきっととても大事な線路の切り替えポイントにいるのだろうと思う一方、目に見える現実の問題に動揺し、頭がいっぱいになって、目に見えない世界を子供たちと一緒に想像したり楽しんだりするような広々とした気持ちが、薄れてしまったり、ややもすれば「そんなのんきなことを」と非難されてしまいかねないような風潮を感じることもある。
とても怖い。


時代が変わっても、子供たちのなかにある「目に見えないものへのアンテナ」や「無限的気分」はいつだって変わらない。
それを引っ張り出してあげるのも、自由に泳がせてあげるのも、その時代時代に生きている大人たちの役割だし、責任といってもいいかと思う。
言葉を覚え始めたばかりの2歳の甥っ子と戯れながら、そんな思いがぐんぐんこみ上げて来た。

だけど、役割や責任とか難しいことは頭の隅っこに置き続けるとして、ほんとうは自分自身がいつまでも冒険小説や小人たちの物語に夢中になれる人間でいられたら、いちばんいいのだ。
「ツバメ号とアマゾン号」で久しぶりに感じた、頭から物語のなかに飛び込んでいくようなあの気持ち。
あの気持ちをいつも自分の傍らに引き寄せておくことができれば、間違った方向に行くことはない。
だいぶ乱暴な量り方だけれど、わたしにはひとつの大事なバロメーターのような気がしている。


「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。
  でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」
(「赤毛のアン」)


わたしの心のなかの耳が、これからもちゃんとアンの言葉に耳を傾けることができるなら。
アンの言うとおり。
あの角を曲がった先には、きっと明るくてよいことが待ち受けているにちがいない。






2012/01/07

100年前の遠い冬、60年前の近い冬。



[time & place]  真冬のある日、薪ストーブの前で
[book]  『長い冬』ローラ・インガルス・ワイルダー著(岩波少年文庫)



今日も雪がひらひら舞い始めたかと思い、次に窓に目を向けたら、視界一面まっしろけになっていた。
細かい雪が上から横から降りなぐり、山も林も畑も見分けがつかない。
時折、山の方向から吹いてくる強い風が家をガタガタっと揺らしていくほかは、風の止み間にギィギィと鳴く鳥の声だけが聞こえる。
白一色の光景をしばらくぼうっと見つめ続けていると、時間の感覚も、今いる場所さえうやむやになるような、起きているのに眠っているみたいな状態になって、薪ストーブの薪が「ごとん」と崩れる音で、はっと我に帰る。
よく冗談で「冬は冬眠しています」と言うけれど、この場所で冬を重ねるうちに、あながち冗談でもないと思い始めている。
「朝日に輝く白銀の草原」や、「粉砂糖をまぶしたお菓子のような森」...といったロマンチックさだけじゃなく、ちっぽけな人間が歯向かうことなどとてもできない、凶暴で容赦のない、本来の「雪」の姿を知ることができたのも、関東ではもっとも日本海側の気候に近く、寒さは北海道並みの、この村に暮らすようになってからのこと。


読みかけの本のなかでも、嵐が吹き荒れている。
こちらの吹雪は、北軽井沢とは較べものにならない。
7ヶ月もの間、三日三晩荒れ狂い、束の間の太陽に気を緩めたとたん、雲行きは急転、またゴーゴーピューピューと猛り狂う。
暖炉にくべる薪や石炭は底をつき、干し草を編んで代用にする。
町に荷を届ける貨物列車が雪で動けなくなったから、食料も乏しくなり、パンを焼くためにはなけなしの小麦をコーヒーミルで挽いたものを使うしかない。
いつ終るともしれない嵐のなかで、ひもじさに耐え、干し草を編み、ミルを廻し続ける日々(これらは一刻も手を休められない)。
だんだんと意識がぼんやりし、お腹も減らず、お話や歌も耳に入らなくなってくる。
吹雪は、冬は、永遠に終わらないかもしれない……

「大草原の小さな家」で知られるローラ・インガルス・ワイルダーの物語。
そのうちの一編、「長い冬」
手元の岩波少年文庫版でも、上・下巻、2冊にわたる。
タイトルどおり、ほんとうに長い、長い、これでもかというような冬。読んでいるだけで胸がつまって苦しくなってきてしまう。
秋口に見つけたジャコウネズミの巣(いつもよりとっても分厚い)が示したとおり、ふらりと現れたインディアンが予言したとおり、その年の冬は猛吹雪とともに10月から4月まで続いた。
かれら開拓者たちに与えられた草原地帯には、実際に7年に一度、こんな冬がやってきたという。

100年も前のアメリカの開拓民・インガルス一家の暮らしを、晩年になって娘ローラが描いた一連の「大草原」シリーズは、わたしが出会った初めての長編の「物語」だったかもしれない。
いつも強くて頼りになってヴァイオリンの上手な「父ちゃん」。
しっかりものでユーモアもあって優しい「母ちゃん」。
目の見えないメリーにローラ、キャリー、グレースの4姉妹。
テレビドラマ版も大好きで、土曜日の夕方6時、かぶりつくように観ていた。
「これぞアメリカ西部!」と思えるような壮大なオープニングテーマは今でも朗々と口ずさめるし、草原を転がりながら駆け下りて来るエプロン姿のローラたちの画もはっきり憶えている。(映像とは怖いもので、いいのか悪いのか、私のなかでの「父ちゃん」の姿は、あのもじゃもじゃ頭に胸毛も勇ましいマイケル・ランドンが定着してしまった。)

そして幼い私のなかで、大草原のイメージと、北軽井沢の風景は、いつしか重なり合う。
実際に、別荘地を抜けた先の手付かずの草地を「大草原」と名付けて、自分はローラになったつもりで、花を摘み、駆け回った。
現実の「父ちゃん」は、オオカミを銃で撃ったり、ヴァイオリンを弾けたりはしなかったが、肩車をして森のあちこちを巡ったり、満点の星空を見に夜に連れ出してくれたりした。
あのころ家族で過ごした時間と「大草原シリーズ」に出会わなかったら、今この村での暮らしに巡りつくことはなかったとも思う。
(その村はずれに、大草原シリーズの訳者・恩地三保子さんの山荘があったのも、偶然と言えば不思議な偶然。)


その重なり合うイメージには、もうひとつ重要な共通点があった。
カイタクチ。
当時の私は知る由もないが、ローラになりきってはしゃいでいた北軽井沢の「大草原」も、第二次大戦後、この地に入植してきた人々の手で拓かれた、たしかな「開拓地」だったのだ。
今、私たちが北軽井沢と呼んでいる土地の大部分は、戦中を開拓団として満州で過ごし、その後引き揚げと同時に再び入植者として不毛な火山灰土に立ち向かった人たちの歴史の上にある。(ということを、私は移住後にはじめて知った。)
夏場、農家のお手伝いでお世話になっているSさんも、そのまわりの農家さんたちも、その開拓世代の子や孫にあたる。
雄大な山並みに囲まれた青々とした畑や、牛がのんびり草をはむのどかな光景は、何百年も前から当たり前にここにあったような気がしていたけれど、実はまだ60年そこそこの、それも裸の人の手が生み出したものだったと知って、足元がグラグラゆれるような思いになる。
入植の人たちの暮らしぶりは相当厳しいものだった、と何かの走り書きで読んだ。
うすっぺらなバラックにくたびれた身を寄せ合い、どんなふうに過ごしていたのだろう。
冬、こんな吹雪の日にはどうやって暖をとり、春までを凌いできたのだろう。
ローラたちは、辛い夜にはヴァイオリンの音に合わせて歌をうたい、物語を聴き、神様に祈った。
この村の人には、どんな歌が、物語が、祈りがあったのだろう…。


そのとき、ローラは気がついた。ローラは、寝床の上にとび起きた。そして大きな声でよびかけた。
「父ちゃん!父ちゃん!ロッキーおろしが吹いているよ。」
「父ちゃんもきいてるよ、ローラ。」父ちゃんはつぎの部屋から答えた。「春がきたんだよ、さあ、またおやすみ。」

春を告げる、吹雪のときとはまた別の風が吹いて、ローラたちの長い冬が終わる。
読みながら、ついつい強ばっていた読者の肩の力も、ここで、ふぅ、とほどける。
長い冬の間にはいろいろあった。
いつもたくましい「父ちゃん」が元気をなくしかけたことも、「母ちゃん」が取り乱してしまったことも、村の中には自分たちだけ助かろうと小麦を隠しこんだ人たちもいたし、雑貨屋の主人は若者が命がけで手に入れてきた小麦に暴利をつけて売りさばこうとした。
それはそうだ。冬の厳しさ(加えて餓え)は、人間の弱いところをぐりぐりとえぐるものだから。
でも、嵐に対してはなすすべのない人間たちも、生きるためには、図太く、たくましかった。
私の大好きな「母ちゃん」のセリフ。
きちんと熟しきれていない青いかぼちゃを使ってパイを焼こうとする場面。

「青いカボチャのパイ?母ちゃん、あたしそんなパイって聞いたことないよ。」(ローラ)
「母ちゃんもよ。でもね、人が聞いたことのあることばかりしていたら、たいしたことは何もできっこないよ。」

この逞しさ。頑丈さ。
冬の厳しさは、人間の本当の強さや知恵や賢さも、思い出させてくれる。
(今の時代の私たちにそれがどれだけ残っているかは別として…。)


(現実の、この本を読んだあとでは吹雪とも呼べない程度の)窓の外の雪嵐はいつしかやんで、青空といっしょに浅間山の輪郭が姿を見せた。
真っ白なマントにくるまって、優雅に、矍鑠と、たっている。夏よりも、うんと近くに、大きく見える。
60年前の人たちも、晴れた日のあの山を眺めては、しばらく寒さを忘れては見とれたに違いない。
ローラや、姉妹たちや、アルマンゾみたいな元気な子どもたちの雪遊びの声が、裸の雑木林に響いていたのに違いない。

この長い冬の間に、この土地に埋もれつつある「物語」についても、調べてみたくなった。









2011/09/03

あの夏の終わりと、ささやかな希望のこと。


[time & place]  夏の終わり、台風の日に
[book]  吉本ばなな『海のふた』(中公文庫)



高原の、短い夏が終わろうとしている。


7月、海の日を過ぎたあたりから、じわじわと避暑客や観光客が押し寄せ始め、いつもは静かな農村が突然「リゾート」と呼ばれる季節がやってくる。
ピークはお盆の前後。それまでひとけのなかったホテルやレストラン・商店にも、煌煌と明りが灯り、駐車場は満車。普段は軽トラックが牛のスピードで走る国道にも、県外ナンバーの高級車やファミリーカーが渋滞をつくる。
毎夏のことながら、この早着替えのような村の変貌ぶりには面食らい、住民としては少々困惑したりもする。
とはいえ、かくいう私が数年前までは、この時期「他所(よそ)」から押し寄せて来ていたほうの立場のひとり。
気持ちがざわついてしまうのは、ふだんすっかり「土地の人」のような顔をして暮らしていても、実はまだまだ根っこを張りきれてはいない自分自身の姿が、夏の喧噪によって暴かれてしまうことへの気恥ずかしさもあるのかもしれない。


吉本ばななの作品に『海のふた』という小説がある。
どちらかといえばこじんまりとした小品で、ばなな作品のなかではあまり知られていないような気もするが、私にとってはいつもこの夏の終わりの時期、繰り返し開いてしまう馴染みの一冊である。
ふるさとの海辺の町に戻り、かき氷屋を始めた主人公のまりと、大切な人の死で心に傷を負った少女はじめが、ふたりで過ごすひと夏の物語。
久しぶりに戻った故郷のさびれた様子に愕然とするまり。シャッターが降りたままの商店街、子どもの頃通った大衆食堂も射的場もホテルのプールもすべて廃墟と化し、町から若者と賑わいが消えたかわりに、お金持ちだけが引き蘢る高級ホテルや老人ホームだけが増えていた。
そんな町の様子に悲しくなったり憤ったりしながら、「自分のできること」としてかき氷屋を開いたまりは、ひょんなことからやってきたはじめに付き合い、町や海をあちこち案内してまわるうち、いつまでも変わらない自然の持つ美しさ厳しさを再発見し、自分の「居場所」を見つめ直していく…。


海と山と、バックグラウンドにあるものは違っても、まりの眼に映ったふるさとの風景の描写のなかに、自分にも重なるものを見つけ、読むたびに胸がきゅっとなる。
私にとっての北軽井沢は、物心つかないうちから訪れていた第二の故郷のような場所。
今も夏場になればこうして一見華やかに賑わいを見せる北軽井沢だが、幼い頃、家族とともに過ごした当時とは明らかに変わってしまった(失われてしまった)ものもある。


まるで夜逃げでもするように車の屋根にパンパンに荷物を積み込んで自宅を出発する夏休み初日。
峠道、カーブをひとつ過ぎるごとに涼しさを増していく、ひんやりとした山の空気。
ひさしぶりに到着した山荘の、うっすらと黴臭い独特の匂いと、よそよそしい雰囲気。
一夜明けて、強い陽射しに照らされた眩しい緑の森が眼に飛び込んできたときの喜びと、長い休みが始まることへの興奮。
花を摘み、虫を追いかけながら歩く散歩道。車で少し離れた山まで向かうハイキング。テラスの七輪バーベキュー。トランプや麻雀に興じて夜更かしした夕べ。
思い出し始めたらきりがないが、あの恵まれた懐かしい日々があってこそ、今この場所での生活があると思うと、両親には感謝してもしきれない。
私の原風景はいつも、あの夏の光に満たされた山荘での情景にある。


その思い出の風景に出て来る、木造の平屋づくりの村で唯一のスーパーや、バスロータリー近くにあった雑貨やさん、一般客も入ることのできたホテルの屋外プール、ボートや釣り遊びをした森のなかの湖などなど、私にとっての村の象徴的な場所は、みな姿を消すか、廃墟となって朽ちかけているか、自由に立ち入ることができなくなってしまった。
(北軽井沢からは離れるが、中軽井沢・千ヶ滝別荘地にあった夏だけ開く某Sデパートの出張店も、子供心にキラキラした避暑地らしい、思い出深い場所なのだが、もう数十年放置されたままで見る影も無い。)
今この村に訪れた人が行く場所といえば、昔からある牧場やテニスコートなどを除けば、ゲームセンターが巨大化したようなホテル付設のテーマパークか、所有者が変わって夏だけ取り繕ったように営業するスーパーか、コンビニくらいなもの。
子供たちにはどんな景色が見えているのか。
大人になってまたここを訪ねてみたいと思ってくれるのだろうか。


8年前、この村に住むことを決めたとき、「さぁこれから!」というワクワクする思いの一方、少しずつ輝きを失っているような村に対して、やはり一抹の寂しさもあった。
よそ者の自分たちに何ができるとは思えないけれど、この村を訪れる人をもっと増やして、「いいところだね」と思ってほしくて、(海辺の松林のかき氷屋のような)小さな週末だけの店を開いた。
それからいくつかの夏を迎えては見送り、今でも基本的な思いは変わっていない。
ただ、この土地に対して実際に何ができたかといえば、大きな声で言えるようなことはまだなにもできていない。
それどころか森の家での暮らしは、いつしかそれが「非日常」から「日常」のものへとなるにつれ、周囲をとりまく自然の美しさ・雄大さへの新鮮な驚きや感動も少しずつ薄れてゆき、とりわけ短い夏は、慌ただしさに追われるようにあっという間に過ぎていく。
そして、文字通り心を亡くすほど忙しい毎日が続くと、自分で自分に課した最低限の約束__お客さんにこの村を好きになってもらうということ__すら忘れかけてしまいそうになることもある。
だから夏の終わりはいつも、そんなノスタルジーと後悔と焦りがごっちゃになったような、ちょっぴり苦い思いを味わうことになる。

そんなふうだから、「海のふた」を読み返しては、店を始めた頃の思いや、この場所での自分の立ち位置(というほどおおげさなものでもないけれど)を再確認したくなるのだ。


これからここがどうなっていくか知らない。私はここの大地をなでるような気持ちで、毎日この足で歩き回っている。小さな愛が刻まれた場所は、やがて花が咲く道になるからだ。


誰かが、たとえひとりでもいいから、この町を大好きだと思い、そしてその愛のこもった足の裏で道をぺたぺた歩いてくれますように。
この町に来た観光客が、言い知れない懐かしさや温かさを感じて、そして「また来よう」とここを大切に思う気持ちを、住んでいる人たちの糧になるような輝きを、置いていってくれるようになりますように。



まりにとって昔と変わらない大きな海がなぐさめとなったように、ここ北軽井沢のシンボルの浅間山も、草津や白根の山並みも、のんびりと牛が草をはむ広大な草原も、鳥や蝶が飛び回る深い雑木林も、人間の手の届かない大自然の部分は、まだまだあの頃と変わらず、静かにここにある。
夏が過ぎて村に静けさが戻る頃、どこからともなく漂い始める木の実の熟す甘い香り。木の葉がひらひら舞い落ちて、林の向こうに山々の輪郭が見えるようになると、やがて訪れる長い長い冬。雪と氷に閉ざされて危うく冬眠しかけそうになる暁にようやくやってくる待望の春。
季節の移り変わりのダイナミックさと、その時々に見せてくれる表情の神秘的なまでの美しさ。
きっとこの場所に何年住もうとも、毎年驚かされるに違いない。


こんな大きな自然の懐で、ひとりの人間がその土地でできることなど限られている。
だからこそ、肩の力を抜いて、身近な人にそっと「遊びにおいでよ」と囁くくらいのボリュームで、この村の良いところ、好きなところを、伝えていければよいのかもしれない。
その地味でささやかな希望のようなものが、いつかどこかで実を結び、種となり、芽を出してくれるような気がするから。
たしかに。
きっと。


私は私の店を作ってゆき、たくさんの人に出会うだろう。そしてたくさんの人を送るだろう。決まった場所にいるということは、そういうことだ。(中略)続けていくということは、全然きれいごとじゃなくて、地味で重苦しくて、退屈で、同じことのくりかえしのようで…..でも、何かが違うのだ。何かがそこにはきっとあるのだ。
そう信じて、私は続けていく。




2011/07/07

「いつでもここに立ち戻ればいい」という魔法の杖。

[time & place]  夏至の日、ソファにて
[book]  梨木香歩さんのエッセイ


少し前のこと。夏至の日に、体調を崩した。
原因は虫刺され。毎年この時期になると悩まされる、畑仕事の最中などにやられるブヨの仕業。今年もさっそく右目の瞼を狙われ、みるみるうちに「お岩さん顔」に。腫れは顔中に広がって熱を持ち、吐き気や歯痛まで連れて来る。毎年のことなので驚きはしないけれど、仕事や家事もままならず、ただただ冷やし、安静にしながら腫れが治まるのを待つのは、厄介だし甚だ鬱陶しい。
おまけに夏至のこの日は、前もって休みをとって、連れと湖へ行く予定だった。その愉しみもおじゃんとなり、梅雨の晴れ間の嘘のような快晴の、一年で一番長い日中を横になって過ごさなければいけないなんて!
やけっぱちな気分になって、ソファに寝転がり、眼を閉じる。
外からは、今が盛りと全身全霊で鳴きつづける、ハルゼミの大合唱。網戸越しに入り込んで来る、湿気を含んだ生温い風。そんな音と匂い、自分の発する熱で、小学生の頃、夏風邪で学校を休んだ日の、あの世界に置いてけぼりをくったような所在なさを思い出す。
うたた寝にも飽き、よろよろと起き上がって本棚の前へ。自然に手が伸びたのは、梨木香歩さんのエッセイ、「ぐるりのこと」など。
行けなかった湖のこと。むせかえるような湿度。幼かったころのぼんわりとした甘い記憶。そんなものが、梨木さんの作品を連想させたのかもしれない。
いずれももう何度も読み返した本だけれど、読み始めればいつも、硬質できっぱりとした語り口のなかにも、ときどき脆さや優しさ、迷いが滲むような、まっすぐな言葉の連なりへと、瞬時に魅き込まれてしまう。

梨木香歩さんの紡ぐ言葉や物語は、私にとってのバイブルのようなもの。
迷ったときや自信をなくしかけたとき、自分の居場所がわからなくなりそうなとき、決まって助けを求める。
本当の意味でのバイブル(聖書)と違うのは、そこに明快な答えやああしましょうこうすべきという導きはないこと。書き手自身も、迷い、怖れ、立ちすくんだりしながら、それでも過去から未来まで、「粘菌」のようなミクロの世界から渡り鳥が羽ばたく大空までを広く見晴らし、文化や、文明といわれるものや、人間そのものの可能性を信じて、言葉という形あるもので私たちに語りかけてくれる。その、ひたむきで、まっとうな、書き手(「生き手」と呼んでもいいかもしれない)としての姿勢に、心を打たれる。


物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を。
(「ぐるりのこと」/物語を)



3月11日のあと、自分では背負いきれない情報の渦に巻き込まれ、活字を追う気力すら失くしかけていたとき。その頃ようやく開くことができたのも、梨木さんの近著「不思議な羅針盤」だった。
震災以前に書かれた文章のなかに、この災害を契機にあちらこちらで噴出してきた「対立」や「諍い」、「糾弾」、責任のなすりつけあいや人命の軽視、「諦め」など、今の私たちを取り巻く先の見えない混沌とした世界を予言したようないくつかのフレーズに思いがけず遭遇し、また何度かキュッと胸が締め付けられる思いがしたのだ。


世の中のスケールがどんどん大きくなることに、最近なんだか疲れてしまった。グローバルに世界をまたに掛けて忙しく仕事をしている人たちの、大きくはあっても粗雑なスケールにも。(中略)このマクロにもミクロにもどんどん膨張している世界を、客観的に分かろうとすることは、どこか決定的に不毛だ。世界で起こっていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の傷みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの「スケールをもっと小さく」する必要があるのではないだろうか。
(「不思議な羅針盤」/「スケール」を小さくする)


非常時の名のもとに一律に同じ価値観を要求され、その人がその人らしくあることを許されない社会はすでに末期症状を呈しており、いずれ崩壊の日も間近という事実を、私たちは歴史で学んでいるはずなのに、最近なぜかまたそういうことが繰り返されそうな、いやな空気が漂っている気がする。
人もまた、群れの中で生きる動物なのだから、ある程度の倫理や道徳は必要だが、それは同時にその人自身の魂を生かすものであって欲しいと思う。できるならより風通しの良い、おおらかな群れをつくるための努力をしたい。個性的であることを、柔らかく受け容れられるゆるやかな絆で結ばれた群れを。傷ついたものがいればただそっとしておいてやり、異端であるものにも何となく居場所が与えられ生きていけるような群れを。(後略)
(「不思議な羅針盤」/ゆるやかにつながる)


自分自身の胸にもたしかに刺さっている小さなトゲを感じながら、ため息をつきつつ、こうした言葉ひとつひとつをなぞっていく。やがて、巻末近く、とあるリハビリテーションのメソッドを取材した折りの人間の「回復機能」に寄せた次のような言葉に、なぜだか今の状況を重ねてしまったりもした。

生物は、我が身に降りかかった危機的な状況を、どうにも避けられないものとしながら同時に(誤解を恐れずに言えば)「チャンス」のようにも捉えて、もっと創造的に、また内省的にも、自らを「変えていく」可能性を持っているように感じられ、それは単に「以前と同じ機能を回復する」というだけでは語れない、「変わっていく」過程のように思える。敬虔な思いに満たされる。
(「不思議な羅針盤」/変えていく、変わっていく)


自分勝手な解釈をして、梨木さんにしてみたらはた迷惑なことかもしれない。
それでもやはりそこに、今の私のような、前後左右どちらを向いたらよいのかわからない、笑ったらいいのか、怒ったらいいのか、諦めたらよいのかという自身の感情の持って行き場すら見失いかけている者への、小さな助け舟のようなメッセージを読み取らずにはいられない。
そして同時に、3月11日以降に書かれる梨木さんの言葉が、待ち遠しくてならない。

私はこれからもきっと、つまづいたり、投げ出したり、うずくまったり、逃げ出したりしてみては、そのたびに梨木さんの言葉にすがるようにしながらなんとか立ち上がり、不安だらけの明日という日にまた立ち向かっていこうとするのだろう。
決して軽やかで美しい姿ではないけれど(まさに今日の腫れ上がった顔カタチと同様)、それでも「いつでもそこに立ち戻ればよいのだ」という杖__私にとってはそれが梨木香歩さんの言葉なのだが__を持っているということは、なんと心強く、幸せなことなんだろう、と思っている。



2011/06/23

はじめに。


木漏れ日の降り注ぐ日には、庭にかけたハンモックで。
雪に閉ざされた冬の日は、暖かな火の前で。

浅間山麓の森暮らし。廻りめぐっていく季節のなかで。
ふと気づくと、傍らにはいつも本がありました。


読書家ではなく、どちらかといえば単なる愛本家。
本の批評、善し悪しなぞ、とても語れるものではありません。

ここでは、ただ、
日常に転がる「物語の断片(かけら)」、
「本のある情景」を拾いあつめて
クローバーの冠を編むように、連ねてみようと思います。


あるときは、森のなかで。
あるときは、森を離れて。

自然のなかで本と共に在る毎日、
その幸せを噛みしめながら。